先天性心疾患子育て体験談

【全ては笑顔のために】

 

初めての妊娠。

妊娠6か月の検診にて、胎児が先天性心疾患だと胎児診断されました。

生まれてこれるかわからないと言われながらの出産。

無事生まれてきてくれて安心したのも束の間、ここからが闘いでした。

現在3回の心臓手術を行い、5歳となり幼稚園に通っています。

 

重い心疾患との闘いの日々を当時の心のままに綴ることで、また現在,は発達障害疑いという新たな壁が立ちはだかり闘いは続いており、そんな日々を綴ることで、誰かの心のよりどころになれるような場所をつくれるように、心を込めて書いていきたいと思います。

 

 

特に妊活をしていたわけでもなく

特別妊娠を希望していたわけでもなく

といったある日

体調が優れない日が訪れ

可能性は低いと思いながらも妊娠検査薬で調べてみたところ

陽性。

すぐに病院を受診し妊娠が確定した。

 

飛び跳ねて喜ぶでもなく

ただ自分のお腹の中に赤ちゃんがいるという不思議な感覚だった。

 

初めての妊娠で特に実感もなく

でもきっと普通に元気な赤ちゃんを産むつもりだった。

なぜか不思議と。

看護師をしていたので学生時代の実習で

病気であることが理由で子どもを捨てる親も見てきたし

先天性の疾患をもって生まれてくる子どもがいることも

充分知っているにも関わらず

何の根拠もなく自分は健康な子どもを産むんだと思っていた。

 

妊婦健診で赤ちゃんの心臓が動いているエコー画像をみたときに

初めて妊娠したんだという実感がわいたような

そんな気分だった。

 

3か月の妊婦健診。

赤ちゃんの首の後ろにリンパの貯留がみられるとの指摘あり。

リンパ液の厚みが3mmを超えてくると

染色体異常の可能性があると告げられる。

ただ時間が経つとこのリンパ液が消失してくる可能性もあり

次回の妊婦健診まで様子を見てみないと

何とも言えないということだった。

この日までは

「自分のお腹の中に赤ちゃんいるんだ不思議~」

くらいにしか思っていなかったのに

この日エコーで見た赤ちゃんが手足をバタつかせている姿に

赤ちゃんという命を感じて

“母”としての感情が芽生えていることに気付いた。

 

1週間後の検査でリンパ液は消失していると告げられ

1週間ぶりに深くベッドに沈み込んだ。

 

それから順調に経過して6か月の妊婦健診。

エコーを見る先生の顔色が変わったことにすぐに気づいた。

 

数分後

先生が重い口を開いた。

「普通は左側に心臓がありその下に胃が見えるんです。

しかし今回胃が右に見えます。

気になるので大きな病院で調べてもらったほうがいい。

すぐに紹介状を書きますのでそちらに行ってもらえますか。」

 

3か月健診でのリンパの貯留はこの日の前触れだったのかもしれないと

頭をよぎった。

 

その日は胃が右側にある原因を調べる勇気なんてあるはずもなく

先生に告げられた事実さえも忘れようとするほどの精神状態だった。

 

紹介状を持って検査に行く前日

震える手で自分なりに原因を調べた。

 

心臓が左で胃が右側…

 

“錯位”というらしい。

 

たくさんある文献の中

たった一行の文章に

心が割れた—

 

 

“錯位の場合ほぼ100%心疾患を合併している”

 

翌日紹介状を持って病院の中を彷徨い

産科の矢印を辿る。

歩き方がわからない…

そんな感覚で産科を目指した。

 

 

問診を書いて看護師さんに手渡すと

「一番気になることはなんですか」と問われ

口を開こうとすると目が熱くなり

「心疾患を合併していないかどうか」

言い終わる前に涙が溢れた。

 

怖い。

泣き止もうとするのに

こめかみが痛くなるばかりで

涙は止まらなかった。

 

 

名前を呼ばれエコー検査をする。

穏やかな空間に

この期に及んで

「あれは夢だったんじゃないだろうか」

なんて思いながら白黒の画面をただ見つめていた。

「詳しいことは後でお話ししますね」

と告げる初めて会った先生に視線を移しながら

モノクロの世界から現実へ意識を戻す。

 

診察室に通される。

主人と一緒に先生の話をきいた。

心奇形があると告げられた。

病名は

肺動脈狭窄、心室中隔欠損、共通房室弁を合併する

単心室症であるとのことだった。

地元では単心室に対するOPができないために

県外の病院でするとのことだった。

 

ただOPができるかもまだわからないという。

赤ちゃんが産まれてきて

自発呼吸ができ尚且つ

心臓のポンプ機能が弱ければOPはできないという。

 

立て続けにこんなヘビーな内容を聞かされた上で

先生から

「この時期によく発見できたなと正直驚いています。

今病気がわかったことは強みです。

気付かず分娩することも多い。

産まれてきて赤ちゃんの様子がおかしいなんていっている間に

間に合わないことだって少なくない。

今病名がわかったことでスケジュールを立てて前もって手をうつこともできる。」

 

今思えば私の場合は

胎児診断されたことをよかったと感じている。

ただその時は

この先生の言葉はただ精いっぱいの

産科の先生としての励ましでしかないと感じていた。

 

説明を聞き終え帰ろうとするけど

長い長い廊下を歩くのがやっとで

前に進むのが難しく視界がぼやけていく。

いい大人が大勢人がいる空間で

しゃがみ込み泣き崩れた。

 

周りにいる妊婦さんがうらやましく

それまでただの風景でしかなかった

元気に走り回る子どもや

ふっくらしている赤ちゃんを見て

「すごいな」「いいな」「なんで私の赤ちゃんなの」

そんな風に初めて思った。

 

初めて手にしたマタニティノート。

6か月の妊婦健診から何も記されていない。

どうしても今までと同じ気持ちで

エコー写真を貼ることができなかった。

 

だけどそれからの一日一日の中で

ゆっくりゆっくり出産、OPに向けての

心構えをしていく。

だってママだから。

 

この子のためにたくさん笑わなきゃ

強くならなきゃと

胎児診断をされたことで

急いで母になる決断をした。

 

6か月の妊婦健診での胎児診断。

中絶ができる時期ではない。

もしももっと早くに赤ちゃんの病気がわかっていたとしたら

中絶をしていたかと聞かれると

絶対に中絶を選択しなかったとは断言できないでいる。

でも中絶ができない時期での胎児診断だったから

産んだわけではない。

もうすでにこの時点で

「この子に会いたい。だから生きて産まれてきて!」

と強く願っている自分がいたから。

 

胎児診断から出産までのマタニティライフは

この子の笑った顔をみるために

自分にできることをしようと思える期間となった。

 

胎児診断は賛否両論あるけれど

私の場合は胎児診断されてよかったと今でも強く思う。

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