全身麻酔下の帝王切開で分娩した翌日

【陣痛、産声を知らない母親】

全身麻酔下の帝王切開で分娩した翌日。
傷の痛みに耐えきれず何度も痛み止めをしてもらった。
出産した夕方には看護師さんに初乳を絞ってもらい
この時ありふれていて平凡な月並みな感情かもしれないけれど
「ママになったんだ。あたし赤ちゃん本当に産んだんだ。」
と思った。

陣痛も味わっていない。
目が覚めたら下腹部の傷が痛むだけで
赤ちゃんの声も聞いていない
ぬくもりも感じていない
匂いも嗅いでいない上に
今までと変わったことといえば
あんなに大きかったはずのお腹がへこんでいるだけだった。
本当に私は出産をしたのだろうかと
自分で体を動かすこともできず
ベッドに横たわり天井の模様を見ているだけだったから。

初乳がでたことを喜ぶ前に
傷が尋常じゃなく痛くなって
もうやめてくれと言いたいくらいだった。

でもこの栄養がつまった初乳を一滴も取りこぼすことのないように
シリンジで吸い取ってくれる看護師さんの
「明日赤ちゃんにこの大事な母乳を届けてあげましょうね」
という言葉にやられて歯をくいしばる。

翌日。
どうしても赤ちゃんに会いに行きたい一心で
一歩も歩けなかったけど尿道カテーテルを抜いてくれと
看護師さんに頼んだ。
そうすれば意地でも歩いてトイレに行くしかない。
そしたら赤ちゃんに会いに行ける。
だって私はママだもん!
そういきがって管を抜いてもらったことを即座に後悔してしまうくらい
一歩歩くだけがこんな大変なのかと思い知らされた。
かたつむりな気分。
トイレが遠すぎた。
前日のOP着のままだったけど
もう袖を外したり通したりなんてしていられない。
このまま病院にいくといい
痛み止めの注射と内服もして主人の手を借りながら
なんとか赤ちゃんに会いに行った。
会いたい会いたいと思いながらも
実は赤ちゃんを直接目でみることに怖さも感じていた。
それは実際子どもの病気を受け入れることができずに
子どもを捨てる親を見ていたから。
看護学校の実習でそんな親に捨てられた子どもを何人も見てきたから。

心疾患の子どもを私はちゃんと受け入れることができるのか—

そんなことを考えていた。

NICUへ入り何台もある保育器の中進んでいくと
見覚えのあるお守りが置いてある隣に
保育器に入っている赤ちゃんがいた。

“わぁ…小さい”
そう思った後はもう保育器に張り付いて
顔を覗き込んでいた。
可愛い。
そう口走った自分にホッとした。

人間だ。
当たり前だけどそう思った。
なんだかとっても大変なことをしてまった。
そんな気分になった。
人間をひとり産み落とした。
こんな責任重大なことを私はしたんだ。
そう思うと手荒に扱えないというか大切にしたい
そんなことを思いながら保育器の穴に手を突っ込む。
もうなんならこの穴に体をねじ込みたい。

保冷バッグから昨日から搾乳している母乳を
NICUの看護師さんに渡した。
シリンジでやっと吸えるほどの母乳の量だったから
このくらいなら口から舐めさせることができると仰ってくれて。

面会時間の2時間はあっという間に過ぎた。
都合よすぎだと主人に突っ込まれたが
病院から帰るとき傷の痛みが尋常じゃなかった。
さっきまで痛みを忘れるくらいだったのに。
また会いたい。
明日も明後日も。
これからもずっとあの子と生きていきたい。
そう強く思った。

しばらく赤ちゃんを抱っこすることもできない。
おっぱいを直接飲ませてあげることもできないけど
今自分にできることをしよう。
そう思うと搾乳で起こされることも苦ではなかった。

ただ乳腺が細くてかなかな開通できない体質なのか
母乳の量も少ないし搾乳も難しく
何度も助産師さんに手伝ってもらいながら搾乳をした。
退院したら自分でしなきゃいけない。
そう思うと気持ちだけ焦ってしまい
退院前日の夜泣いてしまった。
こんなことでやっていけるのかと怖くなって泣いてしまった。
まだ本当の闘いも知らずに闘い方さえ知らずに
あんなところで弱音を吐いていたのかと懐かしく思う。

のちにこの母乳が重要なkeyとなるなんて
この時は思いもしていない。

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