発達を伸ばすために選択した療育センターの退園

先天性疾患をもっている息子は、それだけでも感染に弱いが、無脾症候群という合併症もあり脾臓がないことからより感染に弱い。そんな中で心機能が落ち着いてきたこともあり、集団生活への参加の許可がおり、酸素をしていることなどから療育センターへ入園させることにした。

療育センターには障害を抱えた子どもたちが通っている。知的障害児クラスと肢体不自由児クラスに大まかに分かれていた。

息子は知的障害児クラスに分類され、クラスにはダウン症児やてんかんをもっている子ども、発達障害と診断された子どもなど、さまざまだった。

当初は親子通園クラスといって、週に2回私と一緒に通うクラスだった。そして4歳になる年、単独通園といってひとりで週5回通う通園になった。

この4歳の夏に、フォンタン手術といい、息子にとっては3回目の手術を受けることになった。術前術後と長期のお休みをしたが、心臓は落ちついて復帰でき、この冬には酸素も外せるようになった。

そこでやっと息子の発達についてじっくり目を向けることができるようになったのだ。

その際に療育センターの医師より、『自閉症スペクトラム』に分類されると診断を受けた。確かに言語機能の遅延はあるが、人と目が合わせられないわけでもない、お友だちと遊べないわけでもない。異常行動が目立つと感じたこともなかった。そのため、今までの経緯もあるし、自閉症スペクトラムと分類されることに違和感を感じたのは確かだった。

そこで本気で発達を伸ばすための取り組みをしていく必要があると思い、情報を集めた。

調べた結果見つかったのが、ある発達支援センターだった。

そこは文字からアプローチして言葉の発達をはじめとする社会性を伸ばす取り組み方をしているセンターだった。

もともとは塾の講師をされている先生が立ち上げた施設で、進学術もあわせて運営している。

その先生の面談に伺い、今までの経緯と現在の息子の発達状態などを細かく話し合い、今後の方針を考えていった。

面談後主人と話し合い、あの発達支援センターに通わせようと決めた。

 

その旨を療育センターの先生に伝えると、まさかの返答が返ってきたのだ。

息子の通っている療育センターの決まりで、事業所の併用ができないために、発達支援センターに通うのであれば、療育センターを退園してもらわないといけないとのことであった。

事業所を利用する際に障がい児通所受給者証を呈示するのだが、この受給者証の併用ができないということだった。

つまり、自費であれば通えるということ。

そこで発達支援センターに自費で通った場合のことを調べた。

1時間の授業料が1万円。すると交通費込みで計算すると月に1回通わせると想定した場合、月に6万円はかかる計算になった。

障がい児通所受給者証が使えれば、障がい児通所受給者証だと利用料の9割を自治体が負担してくれるのでたいした金額にはならないのだ。

現実的な金額ではない。主人とさらに話し合いを重ねた。

月に6万円を払ったとしても月に指導してもらえるのは4時間のみ。

月に6万円を支払っとしても、指導してもらえる時間は月に4時間。それで本当に効果はあるのか。

それとも発達支援センターに通うことをあきらめて今までの生活を続けるかなど考えた。

なぜ事業所の併用ができないかというと、息子の通っている療育センターがある地域には療育施設を使いたいのに使えない待機児童が多いために事業所の併用はできない決まりを設けたようだった。一貫した教育を受けさせるためといったところだろう。

 

ダメ元で社会福祉事業団へ連絡した。

息子の現状、今の取り組み方次第で息子の発達が伸びる可能性を秘めているということ、また多方面からのアプローチで発達が伸びるのであれば、将来負担してもらう福祉の量を減らせるということなども伝えてみたが、案の定返ってくる言葉は悔しいものばかりだった。

障がい児は障がい児のままでいろと言われている気さえした。

息子は子どものままではいられない。ほかの子どもと同様年齢を重ね大人になり人生は続いていく。いつまでも私がそばについていることは不可能なのに。

国はこんな現状を把握しているのだろうか。

それでなくても障害者は国のお荷物みたいに言われることが多いというのに、根本からこれじゃ元の子もないではないかと嘆いたところでなんにもならないのが現実。

 

グダグダ言っている暇もなく、息子のためにどうすることがいい選択なのか考えた。

考えて考えた末に、療育を退園するという選択をした。

療育を退園して、発達支援センターを利用しながら、幼稚園を探して、幼稚園で定型の子どもたちからの刺激をもらいながら息子の発達を促す努力をするという選択をした。

おそらく息子には無理をさせることになる。それがわかっていたから頭を抱えて悩んだのだ。

言葉がわからない、伝わらない。自分の気持ちを伝えることが困難な環境に息子を入れるわけだから。かなりの精神的負担を負わせることになるかもしれない。それでも今より発達を伸ばそうとするのであれば現状ではどうすることもできないのだ。

 

まず幼稚園を探すことにした。とはいっても今まで幼稚園を視野にいれていなかったこともあり全く情報がなかった。ひとまずネットで調べ連絡をするという方法で探し始めた。3月のことで、願書受付はもちろん思わっている時期の申し込み。受け入れ先があるのかと不安になりながらも問い合わせていく。

幼稚園激戦区と言われる地域にも関わらず、意外と空きがあった。転勤などで空きができたのかもしれない。

息子の現状を話すと、受け入れ可能であると言っていたのに雲行きが怪しくなり断られることは少なくなかった。こんなことで落ち込んでいられるほど時間が残っていなかったので次々と電話をかけていく。

何件か受け入れ可能だと言われ、ひとまず幼稚園の様子も見たいし、何より息子を実際も見てもらって本当に受け入れが可能であるか判断してもらいたく息子を連れて面談に言った。

人は相性というものがある。面談だけですべてがわかるわけではないが、やはり顔を合わせて話すをすることで打ち解けあえることがある。

面談をしてもらった幼稚園の中で、ここであれば旺ちゃんが笑顔で過ごせるかもしれないと感じた園があり、主人と話し合いその幼稚園に決めて、療育センターを退園した。

本当に本当に勇気のいる選択だった。

この判断に反対した周りの意見ももちろんあった。「もっと息子さんのことを考えてあげて。苦しい想いをするのは息子さんだよ。」と。

簡単に出した決断ではないし、もちろん息子のことを一番に考えての判断だ。みんなが息子のことを考えて意見が割れている。でも息子のことを考えずに決断したことではない。よろめいていてはだめだと思った。

 

幼稚園に入った当初はそれはそれは大変だった。息子も自分の気持ちをわかってもらえないことから笑顔はあきらかに減っていた。

この決断をしたことを後悔しそうになる日も少なくなかった。反対していた人たちに「ほら見てみろ」と言われているような気さえした。

だけどここは踏ん張りどころだとできることを懸命に取り組んだ。クチトレといって口を刺激することで前頭葉を刺激して言葉が出やすくなるという情報を得ればそれを取り入れ取り組んだ。勉強会にも参加した。幼稚園に絵カードを制作して先生と情報共有しながら息子の力になるよう努力した。

それらすべての行動が意味を持っていたのか、運動会にもちゃんと参加することもできたし、言葉も徐々ではあるが増えてきて、気持ちをわかってもらえる環境を作り上げることができている。

 

息子は毎日笑顔で幼稚園に通っており、50音は読めるようにもなった。

幼稚園の先生方もとてもよく息子をみてくださり、私とも密に連絡交換をしてくださる。

いい幼稚園と巡り合えたと感謝でいっぱいだ。

あの決断をしたことが正しいことなのかどうかはもちろんわからないが、決して後悔するような未来ではないことだけは確かだ。

今の現状でできることに懸命に取り組むことをこれからもやっていこうと思う。

子育てに正しいことがないことと同じで、障がい児育児であっても、こうすることが正しいなどという規則はない。

情報を得ることはやはり大切で、その情報と、現状と環境。子どもの性格など、すべてを考えた上で判断していくことが私たち親にできることなのかもしれない。

コメントを残す

このページの先頭へ